成功的教育観と意図的教育観

あなたは熱血教師ですか?

何とも物騒な表題です。

熱血教師というと
テレビ番組で活躍した教師像を思い浮かべます。

どんな番組の教師を思い浮かべるかは
年代によって違うのかもしれません。
思いつくところで、書いてみます。

過去のテレビ番組の熱血教師

『熱中時代』の北野広大先生(水谷豊)
『3年B組金八先生』の坂本金八先生(武田鉄矢)
『GTO』の鬼塚英吉先生(反町隆史)
『ごくせん』の山口久美子先生(仲間由紀恵)
『ドラゴン桜』の桜木健二先生(阿部寛)

などなど

きちんと調べれば、
もっともっとあるに違いありません。

みなさんは
熱血教師と聞いたときに
どの番組の先生を
いの一番に思い浮かべましたか?

さて、
こうしたテレビ番組の
熱血教師は
みなとても素晴らしい。
(まあ、好みの問題が大きいでしょうが・・・・・)

ひるがえって、
みなさんは自分自身を
「熱血教師だ」と思いますか?

自分は熱血教師か?

こうしたテレビ番組を見て私自身も
熱血教師になりたい!と、
子供心に強い憧れを抱いたものです。

ですが、
自分は「熱血教師だ」と自負している
あなた、

正真正銘の、本物の「熱血教師」ですか?

胸に手を当てて、考えてみてください。


「はい、大丈夫です!
私は本物の熱血教師です」

そうおっしゃたあなた、
明確な判断基準があって
「自分は熱血教師だ」と、
答えたのでしょうか。

それとも、
ただ漠然と
「自分は熱血教師だ」と思っているので、
そう答えたのでしょうか。

そこで、
単なる感覚ではなく、
根拠をもつ、
いい教師と言える判断基準について
考えてみましょう。

その判断基準を探るために
まず、
「教える」ことの分類について
見ていきます。

意図的教育観と成功的教育観

「教える」という言葉には
大きく2つの意味がある、と
考えられています。
それは

「意図的教育観」
「成功的教育観」です。

(注)この分類は前、玉川大学教授
沼野一男氏によるものです。

意図的教育観とは?

意図的教育観とは
教える時に
学習者に対して、
「働きかける」ことを重視する
考え方です。

例えば
今日の授業では
「動詞の活用」ができるようになってほしい、と
目的を設定しました。

そこで、
授業では
その目的のもと、
学習者たちに働きかけます。

ここまで読むと
「ふむ、ふむ。いい授業をしているなあ」
と思いますよね。(私もです)

ところが、
ここからが肝心です。
この意図的教育観を持っている教師は
学習者が授業の後で、
「動詞の活用」ができるようになったのか否かを
問わないのです。

とにかく、
学習者に対して
動詞の活用ができるようにと、
懸命に
「働きかける」ことに邁進します。

 

つまり、教師が
目的をもって、頑張って
学習者に働きかければ
「教えた」と思ってしまうのです。

結果は問わない、ということです。
(うーん・・・)

 

では次に、
成功的教育観について見ていきます。

成功的教育観とは?

成功的教育観とは
「教えたい」という熱い想い
をもって教えるだけでは
不十分だとする考え方です。

つまり、
自分が教えたことで、
学習者が
今日の授業のゴールである学習項目を
できるようになったのか否かを
最重要視します。

例えば
授業でのことです。
学習者は
今回、残念ながら
教えた学習項目ができるようにならなかった、
という場合、
それは「教えた」ということにならない、
とする考え方です。

学習者ができるようになったのかどうか、
常に
ここに焦点をあてる教育観です。

では
「意図的教育観」
「成功的教育観」
まとめます。

意図的教育観と成功的教育観のまとめ

「意図的教育観」とは
教えたいという熱い気持ちをもって
学習者に働きかければ、
「教えた」ことになる、
という考え方です。

つまり、
熱い気持ちさえあれば、
結果については
学習者ができるようにならなかったとしても
大したことではないと、
考えます。


「成功的教育観」
とは
教えたいという熱い想いだけでは
不十分だと考えます。

大事なのは
学習者が
授業の学習項目をできるようになったのか、
という結果です。

もし一生懸命教えても、
実際には学習者の身につかなかったとしたら、
それは「教えた」ことにはならない、
とする考え方です。

熱血教師の陥りがちな罠

熱血教師と言われる先生は
周りがびっくりするほど、懸命に
学習者にかかわろうとしてくれます。

しかしながら、
意識してはいないと思うのですが、
もし熱血先生が
「意図的教育観」の持ち主だったとしたら、
こんな気持ちになりがちです。

自分はこれだけ努力して「教えた」のだから、
(たとえ結果が出なかったとしても)
満足だ、と。

120%の力で「教えた」のだから、
十分教師としての責任は果たした、
と考えるのです。

ここまでだったら、まだいいのですが、
次のようになってしまったら、大変です。

 

教師:「自分はこんなに頑張っているのに、
どうしてあいつら(学習者)は
できないんだろう。きっと
あいつらの努力が足りないに違いない」

このように、
結果がよくなかった責任を
学習者の努力不足にしてしまう、
ということも起こります。

これが、なんとも恐ろしい
熱血教師の陥りがちな罠です。

 

学習者が結果を出せないときに、
その原因を
「学習者の努力不足だ」と
考えたことのある人は
自分が
「意図的教育観」
を持っているからではないかと、
振り返ってみることが大切になります。

成功的教育観を持つ教師

「意図的教育観」を持つ教師に比べ、
「成功的教育観」を持つ教師は
見かけは「熱血教師」らしくないかもしれません。

しかし、
心は正真正銘の「熱血教師」だと言えます。

彼ら(彼女ら)は
自分が熱意をもって教えただけでは
満足しません。

常に結果を求めるのです。

学習者が
今日の学習項目のゴールに
到達できて、初めて
「教えた」
考えるのです。

学習者が
「できるようになったのか否か」に対して、
常に責任を持つという態度です。

成功的教育観を持つ教師の教え方

成功的教育観を持つ教師は
どのような教え方をしているのでしょうか。

彼ら(彼女ら)にとっては
「唯一無二の正しい教え方」
というものは存在しません。

常に、この教え方は
「効果があるのか」という指標で考えます。

「効果」とは
学習者が
今日の学習項目のゴールに到達でるようになる
ための効果です。

どんなに熱い想いをもって、懸命に
「教えた」としても、
学習者ができるようにならなかったら、
その責任は自分(教師)にあると考えるのです。

自分の教え方に問題があったとするのです。

これは
なかなかできることではありません。

しかし、
真の教師になりたいのなら、
この「成功的教育観」
胸に刻みたいと思います。

完璧な授業なんてありません。

また、語学というものは
「楽に習得」できるものではありません。
しかしながら、
「楽しんで習得」することはできます。

「楽しんで習得」するためには
「結果の出る授業」が必要です。

苦労は多いけれど、
楽しみながら
「結果の出る授業」を目指し、
一歩一歩頑張っていきましょう。

 

ではではニゴでした。

 

 

 

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