将棋の最年少プロである
藤井聡太六段(15歳)
昨日(2018年5月18日)
第31期竜王戦5組ランキング戦準決勝で勝利し、
七段となりました。
おめでとうございます
公式戦通算50勝目の達成です。

その時のインタビューで
「1局1局指してきたのが節目(せつもく)の数字となりました」
と述べています。

プロ棋士になって50勝目の区切りのことを
「節目(ふしめ)」とは言わず、
「節目(せつもく)」という言葉で
藤井7段は表現しています。

藤井聡太七段

藤井聡太七段

恥ずかしながら、私は
節目(ふしめ)という言葉、使ってはいましたが、
この「ふしめ」を「せつもく」と読む、
ということ、今日の今日まで知りませんでした。

恐るべし、藤井聡太七段
まだ、高校一年生の15歳です。

そこで、さっそく
節目「ふしめ」と「せつもく」について調べてみました。

 節目「ふしめ」と「せつもく」の違い

結論として

節目(ふしめ)は

抽象的な事柄の区切りとなる大きな変わり目、を表します。例えば
⇒人生の大きな節目(ふしめ)を迎える。
のように使います。それに対して、

節目(せつもく)は

⇒物事の区切りとなるところです。

つまり、両者の違いはこうです。

●節目の「節」という漢字は、植物の竹の「節」から来ました。

 

 

 

竹の幹(竹稈=ちくかん)には、節がたくさんあり、
空洞の幹と幹の間を節目(せつもく)と言います。

人生も竹と同じです。様々な出来事の連続です。
その小さな出来事の、一つ一つの区切りを
節目(せつもく)と言い、
節目(せつもく)の中の、大きな区切り、
人生の転機ともなる大きな区切りを
節目(ふしめ)と表現するのです。

藤井聡太七段の言いたかったこと

そこで、
藤井聡太七段の言いたかったことを推測してみます。

「1局1局指してきたのが節目(せつもく)の数字となりました」

⇒この50勝目は、人生の大きな区切りではなく、
これからも続く、人生の途中経過の中の一つの区切りです。
と言いたかったのではないでしょうか。

非常に謙虚なお人柄がにじみ出ています。

どうして上記の結論に達したか

まず、手持ちの
・明鏡国語辞典、
・新明解国語辞典、
・岩波国語辞典、
・三省堂国語辞典、

で、節目を調べてみました。
すると、
「ふしめ」の読みでの記載はありましたが、
「せつもく」という読みでは載っていませんでした。

広辞苑で、ようやく
「ふしめ」と「せつもく」、両方の記述がありました。

驚いたことに、広辞苑では
「せつもく」の方が、主で、
「ふしめ」が従として扱われていたのです。
しかも、
「ふしめ」の意味は
「木材の節のあるところ」としか書いてありませんでした。
(第二版の広辞苑なので、相当に古いです・・・)

そこで、節目という言葉は、
「せつもく」が先で、のちに「ふしめ」と言うようになったのではないか、
という推測が働きます。

昔の日本語を調べてみました。

道元禅師の節目(せつもく)

道元禅師

道元禅師

曹洞宗の開祖、道元(1200~1253年)は
生涯をかけて、87巻に及ぶ仏教の思想書を表しました。
それが、「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」です。

その中の辨道話(べんどうわ)に、
節目(せつもく)が登場します。

いまおしふる功夫辨道(くふうべんどう)は、証上(しょうじょう)に万法(まんぼう)をあらしめ、
出路
(しゅつろ)に一如(いちにょ)を行ずるなり。
その超関脱落(ちょうかんだつらく)のとき、
この
節目せつもくにかかはらむや。

(今ここで教える修行精進とは、悟りの法の上に一切の存在を在らしめて、
解脱のために心と体を一つにするということです。
その自他を隔てる関を超えることができた暁には、
今までの教理の節目(せつもく細目)に頼ることはなくなるのです。)

上記のように
道元禅師は 節目(せつもく)を
自身の書いた書物の項目細目)の意味で使っています。

これを見ると、
鎌倉時代、
節目(せつもく)は区分けした一つ一つの項目
という意味で使っていたことがわかります。

音読みで「せつもく」と使っていた時代は、
項目の意味だったのだと思われます。
つまり、小さな区切りですね。

それが、
日本風に訓読みの「ふしめ」と読むようになるにつれ、
意味も、大きな区切りと変わっていったのではないでしょうか。

中国語の節目の意味は?

現代中国語では
「節目」(jie  mu)はテレビ番組やプログラムの意味です。

中国語の「目」(mu)という漢字には
日本語の「め」の意味はありません。
中国では、
この漢字を単独では使わないのです。添え字のようなものです。

「節」(jie)の意味は何かというと、
区切り、段落、項目、です。

鎌倉時代の頃の、節目(jie mu)という中国語には
区切り、項目という意味があったのでしょう。
その意味で、日本に入ってきたと思われます。

長い年月をかけて、
節目(せつもく)は、節目(ふしめ)と読まれるようになり、
せつもく」は本来の意味を残し、
「ふしめ」は 大きな区切りという意味に変わったと思われます。

こうしたことが
わかっただけでも、
藤井聡太七段にお礼を言わなければなりません。

ありがとうございました。

ではではニゴでした。