御神籤(おみくじ)の起源

和歌と日本

海外に留学していた時、
フランス人の友人が
こんなことをポツリとつぶやきました。

「日本という国は独特だよね。
俳人や歌人といった特別の人だけではなく、
ごく普通の人が
俳句や短歌をつくるんだもの」

ハッとしました。
そう言われるまで、
意識さえしていませんでした。

日本が「詩歌の国」
と言われるゆえんは
こんなところにあるのでしょう。

ちょっと誇らしく感じます。
(自分は詠めないのにもかかわらずですが・・・)

宮中の歌会始めも
遅くとも鎌倉中期、
1267年(文永6年)の
亀山天皇の代には
催されていた
という記録が残っているそうです。

 

どうして、
こんな話をしているかと言うと、
「おみくじ」にも、
必ず和歌が添えられていますよね。

ずっと不思議に思っていました。

「おみくじと和歌」
何の関係があるのかしら・・・と。

すると、
NHKの「チコちゃんに叱られる」
という番組がその謎を解き明かしてくれました。

ここから
「詩歌の国」日本の
和歌とおみくじとの関係について
見ていきます。

「おみくじ」は和歌だった!?

そもそも、
日本の「おみくじ」の本来の形は
「和歌」だったという、
驚くべき事実があります。

下の「おみくじ」を見てください。
青い枠の中は「和歌」です。

この「和歌」こそが、
おみくじの原型だそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

下の、もう一つのおみくじを見てください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この「おみくじ」の青枠には
運勢(大吉)が、

緑の枠には
運勢の項目
(願い事、待ち人、恋愛・・・など)が
記載されています。

この運勢や運勢の項目は
江戸時代ごろに加えられたもので、
本来、おみくじとは
和歌だけだったのだそうです。
(さすが「詩歌の国」)

では、
おみくじの変遷について
見ていきましょう。

「おみくじ」は
いつからあるの?

そもそも、「おみくじ」は
いつ誕生したのでしょうか?

成蹊大学教授、平野多恵氏の
『おみくじのヒミツ』によると、

室町時代には現代の形に近いものが
すでに、あったそうです。

江戸時代になると
「おみくじ」は大流行し、
ほぼ今の形と同じものが出てきます。

つまり、
和歌だけではなく、
吉や凶の運勢も記載されているものです。

運勢の項目も、もちろん
最初のころの「おみくじ」には
なかったのですが、
江戸時代の「おみくじ」には
あります。

その運勢の項目も
失せ物(うせもの)
商売(あきない)
相場(そうば)
出産(おさん)
病気(やまい)
縁談(えんだん)などなど、

今も昔も
ほぼ同じとのこと。

人の悩みとは
何百年たっても
変わらないのですね。

ここで、
「あれ!?」
と思いませんでしたか。

*吉・凶の運勢も後から加わったもの。
*運勢の項目別の解説も、
のちの時代に足されたもの。

では、
もともとの「おみくじ」とは
何だったのでしょうか?

もともとの「おみくじ」とは?

現代では
「おみくじ」とは
吉・凶の運勢をみるもの、
と思われています。

ところが、
本来「おみくじ」とは和歌を通して、
神様からのお告げを
伝えていたものだったのです。

現代のおみくじにも載っている
和歌の部分こそが、
本来の「おみくじ」だったのです。

どうして、
和歌がおみくじだったの・・・?

「おみくじ」の原点は古今和歌集

平安時代に天皇の命により
つくられた古今和歌集。

ここには日本の神様である
「スサノオノミコト」が
この世で初めて三十一文字の和歌を
詠んだとしるされています。
(ヤマタノオロチを退治したことで
有名な神様ですね)

ヤマタノオロチ

ヤマタノオロチ

 

 

このことから
平安時代の人々は

「神様は和歌で思いを伝える」
「神様は和歌を用いて、お告げを伝える」

と考えるようになりました。

一般の人は
神様から直接お告げを聴くことはできません。

そこで
巫女という使者を通して、
神様からの言葉をいただく、

これが当時のやり方でした。

これこそが「おみくじ」の
ルーツの一つで、
「歌占(うたうら)」と呼ばれていました。

この「歌占(うたうら)」は
平安時代に
出世や恋愛の悩みをもった貴族を中心に、
広まっていきます。

この「歌占(うたうら)」の形が
300年の時を経て、
室町時代になると、
形式が変化していきます。

つまり、
「歌占(うたうら)」を
巫女を通して聴くのではなく、

記載されている「歌占(うたうら)」を
自分自身で選びとる、
という形に変わっていったのです。

室町時代の「おみくじ」とは?

室町時代の「おみくじ」は
短冊に神様のお告げとしての
和歌が書かれていました。

青い円の中にあるのが、弓に結ばれている短冊です。

 

 

その短冊は
弓に結び付けられており、

弓に結び付けられた
多くの短冊の中から、
一枚だけを
自分の手で選び取る。

それが当時のスタイルでした。
これって、
今のおみくじのやり方と、
ほぼ同じですよね。

巫女を介さず、
聴くのではなく、
書いてある短冊を選び取る、

これは
一般庶民にも
おみくじが浸透してきたことを
示しているのではないかと、思います。

 

 

江戸時代の「おみくじ」

室町時代から
さらに350年後の
江戸時代に入ると、
「おみくじ」が大流行し始めます。

それは
「おみくじ」のもとであった
「歌占(うたうら)」の和歌の本が
出版されたことによります。

本として出されたことで、
多くの人が
「歌占(うたうら)」の和歌を
直に手に取って、読めるようになったのです。

では、そのやり方を説明していきます。

江戸時代の歌占(うたうら)のやり方は?

まずは
「歌占(うたうら)」の和歌の本を
手元に置きます。

次に
「天・地・人」という札を振ります。
(今のサイコロのようなものです)

それから、
その札を振って出た目、
(つまり、
サイコロだったら1~6のことです)

その出た目のページを開きます。

すると、
その、
自分が札を振って出した目のページには
今の自分の悩みを解決してくれる
和歌が載っている、という具合です。

 

例えば
ある人が恋の悩みを抱えていたとします。
その悩みを解決するためには、
「おみくじ」本から、
自分に合った和歌を選び出す必要があります。

そこで、
「天・地・人」の札を振って
この「おみくじ」本のページを出します。

自分の出したページには
例えば、こんな和歌が書かれていました。

「沖津風 吹けにけらしな 浜松の
波すみのぼる 秋の夜の月」

現代語に訳すと

「沖で風が吹き、海辺の松に波が寄せている。
空には 秋の夜の月が冴えわたっている」
ということになります。

これをお告げに変換させます。
(平野多恵氏の解説です)

・沖の風
→遠いところで何かが起こっている。

・浜辺の松
→恋愛対象(恋焦がれている彼女)

・波が寄せている
→(その彼女に)
言い寄っているライバルがいる

・秋の夜の月
→(彼女は)
その自分以外の相手とうまくいっている。

(何とも・・・あちゃという結末です)

こうしてみると、
おみくじ本を買い求めても、
和歌の意味をきちんと理解する能力がなければ、
その本は何の役にも立たないと言えます。

自分で引きあてた和歌を
自分の悩みに対応させ、
読み解けてこそ、
その本は役立ったのです。

これには
相当高度なスキルが必要です。
(私には手も足も出ません)

そこで、
和歌の意味がわからなくても
「おみくじ」が楽しめるようにと、
吉や凶といった運勢が添えられていきます。

実際、江戸時代に作られた
「天満宮六十四首歌占御籤抄
(てんまんぐう
ろくじゅうよんしゅ
うたうらみくじしょう)」
には、

・和歌、
・和歌の解説、
・運勢、
・(悩みの)項目ごとの解説

が書かれており、
現在の「おみくじ」と
ほぼ同じ構成になっているそうです。

天満宮六十四首御籤抄

 

青い部分:運勢
赤い部分:和歌
黄色:和歌の解説
緑:悩みの項目別解説

「おみくじ」の本質

こうしてみてくると、
「おみくじ」の本質は
「和歌の部分」だということが、
よくわかります。

運勢や
運勢の項目別解説は
和歌の意味を
わかりやすく解釈したものなのです。

つまり、
本来の「おみくじ」の見方とは
おみくじに書いてある和歌を
自分の願いや悩み事に重ね合わせ、
自分なりの解釈をし、
それをアドバイスとして役立てる、
ということです。

「おみくじ」とは
和歌を読み解く力があると、
より深く楽しめるものだったのです。

「詩歌の国」の住人として
和歌を読み解けない自分が
ちょっと情けない・・・

少し和歌を学びなおし、
学生さんとおみくじを引きにいったとき、
解説できたら、
とっても楽しそうですね。

 

ではではニゴでした。

 

 

 

 

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