苦手と得意

教案指導

教案指導をしているときのことでした。

「どんなに頑張っても、仁子先生みたいには
なれそうもありません・・・・・・ふうっ・・・・・・ 」

私にとっては衝撃的な言葉でした。
「え~~~~~~~~!!!」(心の叫びです)

(心の激しい動揺を必死で抑えて)

「ど、どうして、そう思うんですか?」

「だって、次から次に、導入例が出てきますよね。
私なんて、一晩ずーっと考えていても、出てこない時もあるんです・・・」

「も、もしかして、Aさん、
Aさんの教案を私がその場で初めて見て、教案指導をしていると
思っているんですか・・・・・・」

教案指導の予習

私の場合、1時間の教案指導だったなら、事前に
少なくとも10時間ぐらいは
その方の教案と格闘しています

どこまで言うべきか?
何を、どう言うべきか?
何を言わないべきか?

文法はどこまで説明すべきか?

学生に教えるべき文法と、
教師が知っておくべき文法は全く違います。

そのあたりの説明も、どこまですべきなのか?

Aさんとは、たった1時間の時間しかありません。
そこで、この1時間でAさんに
できるだけたくさんのことを伝えたい
と思ってしまうのです。

ちょっと力みすぎているのかなあ・・・・・・

得意と苦手

人は苦手なことで失敗することは、あまり、ありません
むしろ、得意なことで
調子に乗って、失敗することが多いものです

私の場合には
「どうしても伝えたい」という気持ちが先走り、

相手が「この情報だけでもう充分」と思っているのに、
知りたいと思っていないことまで提供し、

相手が消化不良をおこしてしまいます。

これって、
得意なことの暴走です。

若い時の授業もそうでした。

ペラペラと、薄っぺらい知識をひけらかし、
得意満面での授業、

あ~~~!
穴を掘っても、掘っても、
地球の裏側まで恥穴を貫通させても、

どうしても、どうやっても、
この生き恥は なくなりません。

学生のみなさん!
本当にごめんなさい。

そして、これと同じような間違えを
何十年たった今も、繰り返しているというわけです・・・

懲りない自分に笑えます。

得意と苦手といい授業

得意と苦手、授業では、
どんな影響があるのでしょう。

みなさんはいい授業とは、どんな授業だと思われますか?

客観的に見て、「いい授業」というものは
確かにあると思います。

ただし、最高の授業をしても
100人中、100人が「よかった」と、
言ってくれるとは、限りません。

どんなにすばらしい授業をしても、
100%の人を満足させることは
難しいと思っています。

私は、いつも99%を目指します。

今の最大限の努力はする。
でも、100%を目指すと、
心が疲弊していくのです。

授業は同じレベルを常に続けていくことが
一番大切です。

教師だって人間だもの。
嫌なことを引きずって、どうしても
「できない」という心模様の時もあります。

それでも、笑顔で、昨日と変わらないレベルの
授業を提供しなければなりません。

頑張ること、努力することは、絶対に必要です。

でも、続けていけることを目指した
「頑張り」の方が、もっと価値があると思うのです。

燃え尽きない事こそが大切です。

日本語教師は頑張る人が何と多いことか!

完璧は目指してもいいけれど、
「できない」と、落ち込むことは、やめましょう。

私はたくさんの方の授業見学に入りますが、
「ダメでした・・・・・・」
と言う方に限って、とっても素敵な授業をしています。

人は自分のできないところ
足りないところを見つけるのが
とても上手なのです。

できているところは、自然とできている。
そこで、自分では
できているところが「当たり前なこと」にしか、見えないのです。

でも、その「当たり前」が、人から見たら、
まねのできない、とっても、とっても、
すてきなところです。

「自分はダメだ」と思うのは、実は、かなり簡単。

反対に「自分はできる」と思い続けることは、
非常に難しい。

頑張って、「自分はできる」と思い続けてみませんか。
(これは私自身に言い聞かせている言葉です)

自分のいいところは、自分では見つけにくいもの。
悲しいかな、自分だけが知らないという場合が多いのです。

だめだったとき、それを受け止めることは必要です。

でも、それで、「自分は教師に向いていない」と、
拡大解釈をすることは、やめてください!

「できなかった」と思うところは、
自分にはズームで見えている、ということを
肝に銘じておいてください。

もっと、自分のいいところこそを、
ズームで見ていきましょう。

ではではニゴでした。

 

コメントを残す

CAPTCHA


サブコンテンツ

このページの先頭へ