形容詞の否定形に複数の形があるのはなぜか(1)

形容詞の否定形 二通りの形

日本語の形容詞の否定形には二通りの形があります。
(イ形容詞・ナ形容詞の否定形

形容詞 否定形1(否1) 否定形2(否2
イ形容詞 おいしいです おいしくありません おいしくないです
ナ形容詞 元気です 元気じゃありません 元気じゃないです

教科書によっても採用している否定形の形が違います。

教科書  (高いです)
イ形容詞否定形
(静かです)
ナ形容詞否定形
みんなの日本語 高くないです(否2 静かじゃありません(否1
 元気 高くないです(否2 静かじゃないです(否2
Situational
Functional
Japanese
 高くありません(否1  静かじゃありません(否1

否定形2は 否定形1のくだけた形」と
説明することが多いようです。

このように説明されても、
文法的に間違っていなくても、
「うれしくないです」「静かじゃないです」
といった形の
否定形2に違和感を覚える方は多いと思います。

そして、
「うれしくありません」「静かじゃありません」
の方がしっくりくると感じられる方も多いと思います。

「形容詞 + です」(うれしいです)の違和感

以前、私は翻訳の仕事をしていました。
「かわいいです」「うれしいです」・・・・・・といった
<形容詞の言いきり形「かわいい」に「です」を加えた形>
の「うれしいです」という言い方が、しっくりこず、
「イ形容詞+です」の形は使いませんでした。

どう対処していたかというと、
言いきりにする「うれしい。」
終助詞をつける「うれしいです。」
③~思うをつける「うれしく思います。」・・・・・・
④他の言い方に変える「~するのは、うれしいことですね。」
などといったスタイルを用いています。

ただし、形式ばらない文では、わざと、
「親しみを込めるために」
「これはくだけた文です」
といったアピールを意図して
「形容詞 + です」の形を使う時もあります。

私と同様の感覚をお持ちの方も多いと拝察します。

特に
年齢が上がるにつれて、あるいは
文学が大好きな方々は 共感してくれるのではないでしょうか。

私たちが どうして

うれしいです
かわいくないです
大きかったです
おだやかじゃないです・・・・・・

といった形容詞(イ形容詞・ナ形容詞)の
上記のような形に胸がざわつくのか、

これは”形容詞の歴史”をさかのぼれば
その答えが見えてきます。

これから「形容詞の歴史・形容詞の成り立ち」を
紐解いていきましょう。

日本語の形容詞の数

「日本語には形容詞の語彙が少ない」
ということは
日本語教師の方なら、聞いたことがあるのではないでしょうか。

現代日本語ではなく、
まだ、漢字が一般的ではなかった時代、
大和言葉だけを使っていた時代は、
どうだったのでしょうか。

奈良時代の代表作である
「万葉集」や「古事記」は
大和言葉だけで書かれています。

平安時代(794年~1185年)に入ってからも
ひらがなで書かれた女性の仮名文学、
「源氏物語」「枕草子」・・・や和歌などは
大和言葉を使っています。

こうした書物を見てみると、やはり、
形容詞は非常に少ないと言えます。

古代日本語の形容詞

大野晋氏の研究によると、
古代日本語には形容詞そのものがなかったようです。
物事を形容する言葉には名詞を使っていました。

以下は大野氏の研究結果です。

「名詞が言葉を形容する」という具体例。

現代日本語 古代日本語
高い山 タカヤマ(高山)
高い波 タカナミ(高波)
高く飛ぶ タカトブ(高飛ぶ)

この表を見てもわかるとおり、
古代日本語では高(タカ)は名詞です。

現代日本語では 高い山(形容詞+名詞)
高く飛ぶ(形容詞+動詞) の形をとりますが、

古代日本語では 高山(名詞+名詞)
高飛ぶ(名詞+動詞) の形で表現していました。

形容詞の誕生

上記の表のように、古代日本語では
名詞を修飾する時にも、動詞を修飾する時にも、
同じ形を使っていました。

<高山(タカヤマ)・高飛ぶ(タカトブ)>

しかし、長い文章を書くようになると
ただ、名詞を並べただけでは、文意が伝わりません。

読み手が文の内容を理解できないようでは、
文章を書く意味もありません。

その結果、
語尾という新たな手法が創り出され、
名詞修飾と動詞修飾とを区別しだしたのです。
つまり、名詞にかかるときには

高山(タカヤマ) →  高山(タカヤマ)

動詞にかかるときには

高飛ぶ(タカトブ) → 高飛ぶ(タカトブ)

のようにです。

この「語尾をつける」という妙手を手に入れると、
さらには、音高(オトタカ) {意味:音が高い} も、

言いきりの形として

音高(オトタカ) → 音高(オトタカ

」という語尾を加えることによって、
「これで文が終わる」ということも、はっきり示せるようになったのです。

奈良時代(710~794年)には

山(連体修飾)   高飛ぶ(連用修飾)   音高(言いきり)

この三つの使い分けが できるようになっていました。

古代日本語は、全てが名詞の羅列でしかありませんでした。
そこで、
文章の前後関係から、
・この言葉が名詞を修飾しているのか、
・動詞を修飾しているのか、
・ここで文自体が終わるのか、
を考えながら読まなければなりませんでした。

文を読むということは
相当な苦労が必要だったわけです。

ところが、
語尾が創りだされたことによって、
文章を見たときに、
文の意味が一目でわかるようになったのです。

革命的ともいえる変化だったのではないでしょうか。
これによって、文章の意味を取り違えるということも、
かなり減っていったのではないかと思います。

 

今までの「形容詞のできるまで」をご覧になっていて、
「形容詞の否定形は?」
「形容動詞は?」
といったことに気付かれた方もいるのではないでしょうか。

形容詞ができる以前は、語尾自体がありませんでした。
そこで、
否定形や過去形(た形)は、

なんと、なかったんです。

形容詞の連体修飾、連用修飾、言いきり(肯定形)、
が創れるようになったことで、
日本語の表現の幅は飛躍的に広がりました。

次回は 否定形、過去形(た形)、形容動詞(ナ形)
の誕生を見ていきます。

●形容詞の否定形に複数の形があるのはなぜか(2)
をご覧になりたい方は、
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ではではニゴでした。

 

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