日本語教師の道を歩み始めた先生へ

日本語教師の道を歩み始めた
新人の先生も
WBCの試合を
見たのではないかと想像しています。

侍ジャパンの選手たちを見て、
どんな感想を持ったでしょうか。

WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)

2023年3月、
WBCの予選が各地で始まり、
無敗で決勝に進んだ日本が
宿敵アメリカを破り、
14年ぶりに優勝しました。

日本チームの試合は
あまりにもドラマチック!
野球ってこんなに面白いんだと、
気付けば、
画面に吸い寄せられていました。

そして
試合外でも、
栗山監督や
ダルビッシュ選手、
大谷選手などの
様々なニュースが連日紙面を踊り、
毎日がお祭りのような日々でした。

特に私にとっては
栗山監督のリーダシップの源泉や
チームワークの作り方、など、
いろいろと考えさせられることの多い
大会でした。

その中でも
ラーズ・ヌートバー選手の活躍は
強く印象に残っています。

ヌートバー選手を侍ジャパンへ

ラーズ・ヌートバー選手は
日本人のお母さんと
アメリカ人のお父さんの間に生まれ、
今、大リーグで活躍しています。

国籍はアメリカで、
日本には一度も住んだことがなく、
日本語も話せないそうです。

ですが、
お母さんが日本国籍ということで、
日本代表メンバーに
栗山監督直々の指名で、
選出されました。

ところが
彼が日本に来る道のりは
決して
たやすかったわけではありません。

栗山監督の
揺るぎない決意
ヌートバー選手を
侍ジャパンへと
連れてきてくれたのです。

栗山監督への逆風

栗山監督が
ヌートバー選手を
代表入りさせたいと発表したとき、

外野席の評論家軍団は
色めき立ちました。

どんなすごい選手なのかと。

そして
ヌートバー選手を
調べ始めます。

その結果、
わかったのは
まだ、「大した実績がない
ということでした。

やはり、プロは
実力主義の世界です。

実績がない、ということが
致命的だったのでしょう。

栗山監督に対する
逆風が吹き荒れ始めました。

そんなわけのわからない
アメリカ人選手より、

実力も、実績も、
もっと上である
日本人選手の方が
代表にはふさわしいと、
多くの人が考えたのです。

栗山監督の固い決意

その強烈な反対を
栗山監督は
強い決意をもって、押し切りました。

「今の侍ジャパンに
ヌートバー選手は必要な人材であり
彼の招へいは譲れない」と。

栗山監督の
決意の固さに、
多くの関係者は驚いたことでしょう。

部外者の私はといえば、
監督の
やさしそうな外見や、
柔らかい物腰から、

もしかしたら、
くつがえされてしまうかも
などと、
思ったりしていました。

ところがどっこい、
栗山監督は
そんなやわな人物では
ありませんでした。

監督の、
周りのどんな雑音にも
惑わされない、
ぶれることのない
芯の強さに、
「すごみ」さえ感じました。

栗山監督の秘めた想いとは

どうして栗山監督は
自分の意思を
貫き通せたのでしょうか?

それは栗山監督の
プロ野球界への並々ならぬ「想い」
心の奥底に
あったからではないか、
と、思っています。

栗山監督には
未来への高い志、があります。

「絶対に実現したい目標」
と言い換えてもいいでしょう。
それは
「日本プロ野球界の発展」です。

そして監督の

プロ野球界に
少しでもいいから貢献したい

という熱い想いは
地下に渦巻くマグマのごとく、
監督の心の奥底で
たぎっています。

日本野球界の現状とは

今回のWBCで、
栗山監督は
絶対に結果を残したかったに
違いありません。

なぜなら、
今、スポーツ界での
野球の立ち位置は
プロ野球の全盛期から見ると、
衰退傾向にあるからです。

「プロ野球選手になりたい!」
と、目を輝かせて語る
子供たちが、
どんどん減っているのです。

多くのスポーツが台頭してくる中、
子供たちが遊びとして
野球をする場も
年々減り続けています。

つまり、公園などで
野球が
できなくなっているのです。

栗山監督の切り札:「楽しさ」と「多様性」

こうした
野球を取り巻く厳しい状況に、
強い危機感を持つ
栗山監督は

子供たちに
「野球は楽しいスポーツなんだ!」
という純粋な気持ちを
もう一度持ってもらいたかった、と
強く語っていました。

それとともに、
画一的なチームではなく、
多様性のあるチーム作りを目指していた、
とも話されていました。

ヌートバー選手は
多様性の象徴として、
外せなかったのでしょう。

世界に通用する
侍ジャパンを創るために、

世界と戦える強さを持った
チームを創るために、

栗山監督が選んだのは
「楽しさ」「多様性」
だったのです。

栗山監督の目指す「楽しさ」とは?

楽しさと言っても、
表面的な楽しさとは違います。

プロの世界ですから、
練習は当然
つらく厳しいものです。

でもそこに、自分にとっての
「楽しさ」を見いだせない選手は
いずれ淘汰されて行ってしまうことを、
栗山監督は

ダルビッシュ選手や
大谷選手を育てていく中で
感じとっていたのではないでしょうか。

 

【ここでちょっと閑話休題です】

野球好きなかたは、
ご存じだと思いますが、
野球にあまり
興味を持っていない方のために。

大谷選手を
二刀流のまま「行け!」
と励まし、育て上げたのは、
な、なんと栗山監督なんです。
これって、すごい話ですよね。

さて、またここで、
「厳しさの中に
楽しさを見いだせない選手は
いずれ消えていく」の
話に戻ります。

自分の「楽しさ」を見つけるために

では
厳しさの中に
「楽しさ」を見出すには
どうしたらいいのでしょうか。

それには
・思考の柔軟性
・視点の高さ
・自分を客観的に見る力

といった能力が不可欠です。

そうした力を持った選手こそが、
想像を超えたパワーを発揮します。

ただ、ただ、
しんどいと思って
耐えているだけでは
限界は超えられません。

栗山監督からの選手たちへのバトン

「楽しさ」の
恐るべき潜在能力を
深く理解している
栗山監督は

他のチームメイトにも
それを体感してほしいと願い、

「楽しさ」を核としたチームを
創り上げたのでしょう。

栗山監督のこの想いは
村上宗隆選手へも、
佐々木朗希選手へも、
他の選手へも、

しっかりと
受け継がれたように思います。

戦っている時の、ベンチでの、練習での
彼らのはつらつとした表情を見れば、
明らかです。

栗山監督の
【これからの日本の野球界には、
「多様性」「楽しさ」こそが
必要不可欠だ】という信念は

旧態依然とした日本の野球界に、
新風を吹き込んだものと信じます。

日本語教育と楽しさの関係

肝心な日本語教育に
話を移します。

ようやく本題です。
(遅くて、ごめんなさい!)

日本語の授業でも
「楽しさ」は必須です。

日本語が上手になるには
長い道のりを、
時には歯を食いしばって
頑張らなければなりません。

その中に
「楽しさ」がなければ、
続いていきません。

教師にとっても
同じことが言えます。

この春に
新しく先生になられた方も
大勢いらっしゃることでしょう。

2,3年は
苦しい時期が続きます。

自分の力のなさに
愕然とし、
懸命にあがく時期とも言えます。

でも、それは
誰もが通る道です。
最初からうまくいく人は
ほんの一握りです。

そのつらい時期を乗り越えた先に、
必ず希望の光が見えてくるはずです。

そして
その大変さの中に
何か、一つでもいい、
「楽しさ」の種を見つけてください。

そして、
少しずつ、少しずつ、
その種を
育てていってください。

「楽しさ」
自分自身にとって、
最強の武器となります。

苦しさに耐えてているだけでは、
どんなに強い人でも
やがて、限界がやってきます。

せっかく選んだ仕事です。

数年は続けてみてください。
やり続けなければ
自分に合っているのかどうかさえ
わかりません。

限界を突破できる力は
「楽しさ」のなかに隠れています。

 

どこに「楽しさ」を見出すのかは
一人一人違います。

自分だけの「楽しさ」
見つけられたときに、
違った世界が見えてきます。

 

日本語教師の世界は
「多様性」のるつぼです。

「多様性」の中に
身を置き始めた先生方へ、

新たな一歩を踏み出した
先生方へ、

心からエールを送ります。

 

いつの日か
皆さんが見つけた
自分だけの「楽しさ」
教えてください!ね。

 

そんな日が一日も早く

来ることを、
心から願っています。

 

 

ではではニゴでした。

 

 

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