日本語教師と才能

日本語教師の採用

とある日本語学校での
日本語教師採用面接のときのことです。

採用面接

採用面接

一人は 経験豊富な方。

もう一人は全くのど素人。

通信教育で420時間はクリアーしていましたが、
実習さえもしたことがありませんでした。

採用試験の模擬授業も
両方の方のを拝見しました。

やはり、結果は歴然。
未経験の方は 散々でした。
(一生懸命さは伝わってきましたが・・・)

模擬授業

模擬授業

でも、私はあえて、未経験の方を推しました。
(経験豊富な方のほうは、どこでも採用されるでしょう)

その代わり、
「私が責任をもって教えます」と、約束をして。

その時に、いい先生になるだろう、
という勝算があったわけでは、決してありませんでした。

一年半後

未経験の先生は 幸いにも採用されました。
彼女の熱意が届いたのです。
そこで、さっそく

マンツーマンの研修が始まりました。

1週間に2回。
一回ごとの時間設定は、
かわいそうだとは思ったのですが、しませんでした。
「今日の課題が終わるまで、やる」という研修ですから。

一回が4時間以上になることは ざらでした。

一年半後、
今では、その先生は
それは、それは 立派になられました。

他校からの見学の方が来られた時、

「いい先生ですねえ。
学生が目をキラキラさせて、授業に参加しているのに、
驚きました。」

という感想をいただきました。

私も見学していたのですが、
「あたたかい心に満ち溢れた、すばらしい授業でした」
胸が熱くなりました。

あるベテラン教師の一言

そして、月日が流れ

日本語業界が苦しくなり
リストラが始まったある日のことです。

たまたまその学校に出向く用事がありました。

何名かの先生は、姿が見えなくなっていました。

私が研修した先生のことを尋ねると

「ああ、頑張っていらっしゃいますよ。
あの先生は、もともと才能がありましたから」

と、一人の先生が淡々とおっしゃったのです。

日本語教師と才能

私は、いいようのない悲しさに襲われました。

確かに彼女には才能があったのでしょう。

でも、いい日本語教師になるのに
「才能」の割合って どのくらい必要なのでしょうか・・・。

私は その先生の頑張りを知っています。

他の先生方は 彼女の結果だけしか見ていないので、
「才能」の一言で済ませていると、
感じたのです。

何度も失敗を重ね、
辛い思いをし、
(もちろん楽しいこともいっぱいありましたよ!)

今の彼女があるのです。

「才能」の一言で終わらせてしまうことに、
とても違和感を覚えました。

そのおっしゃった先生が
素晴らしい先生だっただけに、
余計、心がしぼんでいくのを
どうすることもできませんでした。

日本語教師に才能は必要か

私は、普通の能力があれば、
教師になりたいと自ら思える人なら、

「才能」は、あまり関係ない、
と思うのです。

自分の来し方を振り返ると
私には才能の「さ」の字もなかったように思えます。

成長するスピードも
とても遅かったし、
失敗を数え上げたら、
情けないくらいです・・・・・・。

教師になりたての
みなさん!
「自分には才能がないのでは・・・」と

自分を責めては絶対に絶対に、いけません。

必ず、自分自身が望む
「日本語教師」になれますよ!

ではでは ニゴでした。

One Response to “日本語教師と才能”

  1. AK より:

    昨日毎週ボランティアへ行っている教室で、初めて初級クラスで授業をしました。
    結果は散々でした。準備はしたつもりでしたが、イラストを用意しすぎてボードに貼りきれない、肝心なところで文字カードを作っていない、総じて要点を捉えていなかったと、そして、0初級の方も分かるような教案作りではなかったと。言い出したらキリがありませんが、とにかく、生徒さんがその日学習した内容を完全に理解できぬまま時間になってしまい、本当に申し訳なく、ふがいなかったです。ボランティアの方が生徒さんに付いていた為、全く理解できないということはなかったようで、それだけがせめてもの救いでした。
    やはり、教えるという仕事が自分には向いてないんじゃないか、教案作りも人より時間がかかるし、、、と気分が落ちていましたが、このブログを拝見し、あきらめない気持ちを思い出すことができました。
    ありがとうございました。

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